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No.552 余白

全て過去形になる その前に 夢と消えてゆく その前に この思いを手紙にしよう 彼はそう考えて 筆を取る 言葉を探しても 出てこない 愛する人など もういない この思いは言葉でなく 彼の脳内で完結する 死んだ蝉の においにつられて 残された僅かな時間を数え…

No.359 沸騰

スニーカーの紐が解けていた 彼はそれに気付かずに走っていた 血だらけの膝はじんじんと痛み その痛みで また転けて 傷付いた 紐が見えない彼は 何処かへ急いでいた 何かから逃げているようだし 追っているようでもあった 「さて 頭の悪い彼のことだから も…

No.358 虹色の銃口

銃口を咥えた像が 公園の真ん中に建っていた 男はそれを見ながら 煙草を吸っていた 季節外れの気温で茹だった脳みそは 像が揺れ動いていると彼に思わせた 敵はどこからともなく 音もなく やってきた 銃口を咥えた像を気ままに見続けることも出来ず 彼は膝の…

No.357 ハッピーエンド

彼はもう誰も傷つけないように 暗闇に紛れ 人目の付かぬように暮らしていた 罪の大きさと その多さを思い返す時間が 彼が生きてしまっている実感になっていた ある日 少女が突然やって来て 彼にこう言った「助けて欲しい」と だが彼は心を閉ざし その日は少…

No.354 ハコ

箱の中で蠢く影 蓋を開けても何もない 閉めた途端に騒ぎ出す 蓋を開けたら黙り込む 箱の外で蠢く彼 蓋に塞がれ不貞腐れ 蓋が開くまで黙り込む 沈黙に狂い騒ぎ出す からんころんと鳴る時は 箱の子供が遊んでいる ずるずるずると鳴る時は 箱の大人が話している…

No.353 二万円のガム

男は味のなくなったガムに砂糖をかけて 歯と歯で挟む遊びを続け 前を向いた 彼の行く先には 人々が吐き捨てたガムがあり それを踏まないように ガムを噛んで歩いた (新しいガムを買うまで このガムで我慢しよう) そう思った彼の強靭な顎は きっと人骨でも …

No.352 シキとカケ

コインランドリーの回転が 頭をぐるぐるかき回す 布団の頭はどこにある きっと彼の頭の方 乾燥機の暑さは丁度良く 布団は居心地良く過ごす 取り出しに来た彼の右手には マルボロの香りが付いている 家に帰るとクッションの上 布団はふかふかな感触の上 ふた…

No.351 フェンス

彼は決して フェンスを乗り越えようとしなかった 頭が良すぎるために そうしないことに決めた きっと彼がフェンスを超えて どこに行こうとも 弾丸は追いかけてきて 彼の頭を撃ち抜くだろう それでも 彼はフェンスを乗り越えてみたかった 行き交う人間たちは …

No.350 バリカン

傷だらけの顔や身体に塩を塗る 清めるための痛みに耐える 伸びきって傷んだ髪は彼に張り付き 名残惜しそうに彼を見ている ガリガリと 骨を貪る音に聞こえる 案外 髪を削ぐこと自体は悪くない ただこれに至った経緯と 彼の誇りを思い 彼は自分自身が 哀れに思…

No.349 音楽の酸素ボンベを担ぐ男

ウォークマンから伸びたイヤホン 耳に入れて 人混みをするすると抜ける 彼はその瞬間だけ 優越感を感じる 一人 また一人 遠ざかってゆく 彼が 危なげなく辿り着ける場所なら きっと誰でも行けるところなのだろう 彼が 足をかけようとする連中をすり抜けて 行…

No.348 月と自転車

さめざめと重くなる 雨雲の模様 見下ろして困ったのは 星空の月 自転車を照らすのが 何よりも楽しみで 待ち望んでいたのに 朝になってしまったら ここを通り過ぎてしまう ここを通る あの自転車が良いんだ と月は思った 乗っている人間は 月の方を向いてくれ…

No.347 あなたと「あなた」

全てを捧げたつもりでも 何も与えたものはない だからといってあなたに何を与えられたのだろうと 考えてみても見つからない あなたはいつも 止まったままで生きている アルバムがバラバラな時系列に物語を吹き込む そうして アルバムの中では 言葉が飛び交い…

No.346 絵の具とマグカップと 板になった床

マグカップが割れていた 床には小さな凹みがあった 衝撃がどれほどだったか その凹みを見ればわかった 絵の具はチューブから身体を捻り出して マグカップの破片をゆっくりと時間をかけ 床に塗り込みながら 可哀想なやつだと思い 出来るだけ大きな声で鎮魂歌…

No.341 空回り

走る 転がる ぶつかる 止まる あの日の面影を 探して また走る その男は 一人ぼっち それが必然で 彼は流れ星 何処にも 辿り着けない 夢の中へ そっと忍び足で 潜り込む女は 彼を愛することで 自分を保っている 女の友人は言った 「見合うことは有り得ない」…

No.340 忘れた男

閉めたか 閉めなかったか 彼はそのことだけを考える 朝起きて 歯を磨いて 服を着替え 髪をセットして 玄関へ それから それから 曖昧になった記憶を彼が思い出そうとしていると 前から大きな犬がやって来て ヨダレを垂らしながら彼をじっと見つめている 「カ…

No.339 気付かれない詩

いくら何を言っても届かない 何を書いても響かない そういうものなのだろうと 割り切って詩を書く 鉛筆 シャーペン ボールペン 筆や万年筆 そんなもので書いたところで 何も変わらない 詩は詩である しかし それにこだわる馬鹿どもがいる 誰も興味はない お…

No.338 どいつもこいつもいつも胃痛

キリキリ痛むから 不機嫌になる キリキリ煩いから キレそうになる 薬を履いて捨て 飲み干してゆく それでもキリキリする 縮んで千切れ 遠い昔に出会った 悪い女のような キリキリと痛む胃が 悪びれる様子もない 遠く投げ出したくなる 臭い台詞のように キリ…

No.336 ムシササレ

痛みが走る 男の右腕に虫がいた 平手で潰して しばらく経つと そこが膨れる スノードームほどになると 泡がたつ ぶくぶくと 下から上へ空気が溜まる 空気が半分覆うと 赤い点が生まれる 男は右腕を食い入るように眺める 会社に行けずに 困り果てながら眺める…

No.335 真っ赤なポスト

真っ赤なポストが 目印になった 時間を言えば そこに入っている 深夜なら安全で そばに誰も寄らない 白い粉とか 握りやすい塊とか そんな物を仕込む そんな物を待ちに待って ようやく手に入れる彼らには それぞれの事情があって それぞれが悪い 悪さを測る物…

No.334 螺旋

いつも損ばかりしている男が 得をすることがあれば それは凶兆だ 人は変われるか 変われないかと論争が起きても これだけは言える 結末は変わらない 例えば 絶対に当たる占いがあるとする その占いによれば 今日必ず死ぬらしい 男は数える あと数分の命を そ…

No.333 忘れられた男

かつて 一日に彼を見ない日はない そんな人気者だった彼は 当然のごとく捨てられ 置き去りにされた寂しさから 酒浸りになって この世のあらゆるものから逃げていた 彼は誰かの夢の死骸の上に立っていた 今では 自らの夢を見失って 風船を手放してしまった少…

No.321 ブラックコーヒーと紅茶

「真実は 犯人が誰かなんて単純なことじゃない」 ブラックコーヒーが彼の喉を通る 「昔好きだったアニメで 一つだって言ってたけどな」 彼の話を聞く男の喉に 熱い紅茶が通る 「あれはただの子供騙しだ ガキ向けの戯言」 ブラックコーヒーの匂いが彼の鼻から…

No.320 虫歯な男

歯の痛みで彼は目が覚めて ロウソクを付けた 淡い光が 木漏れ日のようだが 顔は渋い 落ち着くために流すのは ピアノだけのアルバム レコードがぶつぶつ途切れる度 歯が軋む 歯医者に言われた 「来週また来てください」 そんなことを彼が守れるはずもなく 「…

No.319 電話に出た男

ひび割れた昨日が 足元に転がる 悪夢から覚めても 憂鬱はおどける 寒がりな心が 気温を無視する 暑がりな身体が 悲鳴を上げている 電柱が傾いて 標識が回転している 電線が吹かれて 風とたわむれる びゅんびゅんという 音にまみれる 電気が 脳天から 降り注…

No.318 走る男

突然の雷と雨に驚いて 駅で呆然と立っている一人の男 彼は傘など家にも置かない性格だが 流石に困り果てて 分厚い雨雲を眺めた 電車は洗われているように 物凄い勢いで水をはじき返していた 彼は 少し屈伸をして 大きく息を吸い 全速力で駆け出して 電車の真…

No.317 彼と猫と鏡

彼が朝起きて 顔を洗い シェービングクリームを塗って 髭を剃る時 窓の外からの陽射しに欠伸をする猫は 鏡の前に行って 鏡の中の猫にひと鳴きする 鏡の中の彼が別人のようになると 猫は決まって驚いた顔をする 餌をボウルに入れて 車の鍵と煙草を持ち ドアを…

No.316 トーキチロー

男の身体から伸びた光が ひとつの星を見つけた その星が 分かれて 片方が 落ちて 男の額に目掛け 光速で進み あっという間に 男の頭はパカッと割れた そこから 有象無象 何やらわからない 不思議な生き物 図鑑には載っていない 誰も見たことの無い生き物 そ…

No.315 竜脚

「もし 巨大な恐竜になれたとしたら 君は人を踏み潰さないと誓えるか?」 彼が言った言葉を繰り返し 雨の音を聞く 午前三時 あの時のことを思い出すのは いつ以来だろうか 首を長くして待っても 再び彼に会うことはなかった そしてこれからも いくら待ち続け…

No.313

男は煙草を吸っていた 世の中に対する違和感を感じながら 彼はどこか遠く 違う星で生まれ どこかで間違えて この醜い地球に来てしまった 全ては幻のように思えた 誰もが同じ顔に見えた 心の中を探り合うために 無数の触手が 彼にまで伸びた 彼は その触手を…

No.312 彼

疑い深い男は素晴らしい景色を見ても それは自らの心持ちで変わってしまう儚いものと言った 信じ易い男は小汚い路地裏を見ても それは自らの目線の高さを合わせれば美しいと言った 今回の主人公(彼はとても主人公に見えない)は そんな二つの景色を見ても …