No.603 パグとバグ

 

 

パグは 窓の外の通りを見下ろした

車が 右と左に横切った

右と左に行った先に何があるのか

気になったが わからないので考えを捨てた

 


パグは 見下ろすのをやめて

馴染んだ部屋の中を見渡した

ソファの上に 一匹の小さな虫がいた

のそのそと近寄ると 前足で捕まえようとした

 


小さな虫は パグに余裕を見せながら

ぶうんと飛んでいってしまった

悔しくなって 飛び跳ねたり

駆け回ったりしたが 捕まえられなかった

 


しかし とうとう 部屋の端っこに追い詰めて

くるくる回る虫の目をはっきりと見据えて

前足をぴんと伸ばして 飛びつくと

右の前足が 小さな虫に触れた

 


すると パグは身体に電撃が走る音を聞いた

炸裂した意識が 深層まで到達すると

朝 家を出て行った飼い主や 昨日食べた食事や

愛すべきぬいぐるみの記憶は 書き換えられた

 


視界にノイズが走り 変色したソファが

ぐりぐりとした瞳でパグを睨みつけていた

混乱していた彼の頭の中で声がした

『僕に触れた瞬間 少し書き換えてしまった』

 


(何のことだ?)パグがそう思うと

『僕のことはバグと呼んでくれ』と聞こえた

(バグ? さっきの虫か?)パグがそう思うと

『ああそうだよ 今は君の中にいる』と聞こえた

 


次の瞬間に耳に入ったのは 飼い主が帰って来て

部屋の鍵を開けようとする音だった

パグはバグとのこともあり 少し戸惑いながら

「いつもと変わらない呑気なペットの顔」を作った

 


飼い主は いつものように玄関で待つパグに近寄り

笑顔で頭を撫でながら 何かを話していた

しかし パグにはその様子が

今にも自分を捕食する 凶暴なモンスターに見えた

 


『僕は君を 支配から解き放ってやろう』

パグは(一体 俺に何をしやがった!)と思った

『言っただろう? 書き換えたって』

パグは(何を書き換えた!余計なことを)と思った

 


ノイズが横に伸びて ハウリングした鳴き声

飼い主は驚いて 心配そうにパグを眺めている

(ああ悪い 今は 少し放っておいてくれ)と思うと

『ダメだよ こいつを倒さなければ』と聞こえた

 


それから パグとバグは家を失い

放浪する中で 互いのことを分かっていった

全てが少しだけズレた世界の中で

パグは バグとだけ話が出来た

 


(今なら お前の言うことが良く分かるよ)

『成長したね 最初はあんなに驚いていたのに』

(あの時 俺はぬるま湯に浸かってたんだ)

『今では 君のことを見ても 誰もそう思わない』

 


どんどんと崩れていく世界の中で

パグは (初めからこうなると

分かっていたんじゃないか?)と思った

『その通りだよ』と 聞こえた

 


飼い主と同じ種類の生き物が全ていなくなる時

パグは少しだけ ノスタルジーに浸った

しかし それもこじんまりとした一掬いの時間だけ

新しくやらなければならないことが たくさんあった

 


パグは バグと話しながら

風化して残骸が崩れていく様子を見た

(一つが終わって また始まるな)と思うと

『君は ここで始める一つになるんだよ』と聞こえた