No.377 読む男

 

 

本棚は気が遠くなるほどに高い天井まで届く

整然と並んだ本から 彼は一冊の絵本を取り出す

子供に読み聞かせるには分厚すぎるが

時間が余りある彼には物足りないかも知れない

 


その絵本は ある王国に生まれた王子が

怪物と戦い 成長していく物語だった

重そうに甲冑を着た王子は九才くらいで

彼の半分ほどの歳なのに 彼よりも逞しい

 


彼はふと 自分の腕や足を見た

絵本の中の蜘蛛の怪物と同じくらいの細さだ

月光のせいで白さが際立ち

まるで石膏のような色になっていた

 


高い天井には大きな天窓があり

月も星も良く見えて美しかった

彼は本棚に寄りかかり 絵本の続きを読んだ

紙は月光で程よく照らされていた

 


文字と絵が混ざり会う頃になると

眠らなければならない時間が来たことを知った

彼は本棚の前に置いておいたクッションに寝そべり

分厚い絵本を枕にして眠った

 


夢の中で 彼は九歳の王子になっていた

彼の腕のような足の蜘蛛と戦い

彼の肌の色のようなドラゴンに乗った

余りにも壮大な夢なので 起きた時に落ち込んだ

 


彼は枕にしていた絵本を本棚に戻し

途中まで読んでいた小説を取り出した

絵本の中の王子は月夜と共に忘れ去られ

彼は小説の中に入り込んだ

 


太陽は天窓から彼を照らしている

月光よりも少し赤みがかって見える

全ての行いが ここでは本のように綴じられる

彼はページをめくるように毎日を過ごしている

 


小説はあと少しで読み終わりそうだ

嫌な予感しかしない きっと主人公は死ぬだろう

彼は悲しくなって 新しい本を取り出した

それは どうでも良い虫の図鑑だった

 


虫は彼を考えなくさせた

虫の目の美しくも冷たい色が落ち着かせた

無心の彼は安心し 全てを切り替え

小説を手に取り 再び読み始めた

 


小説の結末は やはり死だった

しかし 主人公はそれを救いのように感じていた

彼は不思議に思ったが 虫の目を思い出して

「美しくも冷たい色の小説」だと思った

 


彼は 天井まで届く本棚の前に立って

整然と並ぶ背表紙を眺めて 星空を思い出した

絵本のことは忘れてしまっていたが

九歳の王子は 彼の心の中で冒険をしていた

 


彼が本を読む時 活字の海でボートを漕ぎ

挿絵をモリで突き そのまま平らげた

王子は彼を世界だと思いこみ

彼は王子を見ることもなかった

 


本棚に梯子をかけて 天井近くまで登り

彼はやっと読みたい本を見つけて

大事そうに下へと持って降り 読み始めた

そして王子は また新しい冒険へと出かけるのであった