No.376 バスに乗る男と運転手たち
バスの後ろ側には一人きりの影が伸びている
座席が暖かく 眠くなってきた男は
夜の街並みをぼんやりと眺め
額を窓に付けて息で曇らせる
たまに 小さな虫が窓に当たる
バスにぶつかった虫は
何事もなく飛んでいるのだろうか
それとも 死んでしまうのだろうか
彼はそう疑問に思うと
さっきまでの心地良さを忘れた
悲しくて仕方なくなってしまって
涙が出るのでウイスキーを飲んだ
運転手は 淡々と仕事をこなしている
彼は酔っ払って 前の座席に移り
運転手に話しかけると
割と答えてくれ 世間話をした
彼の目的地に着く頃には
お互いの名前を知る仲になっていた
彼は 運転手に礼を言って バスを降りて
ずっと来たかったバス停で バスを待つ
バスが来ると 彼は乗り込む
一時間半前と同じように 客は彼しか居ない
後ろの方に座り 流石に眠いので眠り
彼は何時間もかけ 自宅の最寄りのバス停へ帰る
彼は バスの運転手の記憶の中にしか存在しない
彼の名前を知るのも 彼の行き先も
彼の帰る場所も ほかの誰も知らない
バスの運転手たちは 彼を成り立たせている