No.516 記憶の幼虫
強く打った頭が悲鳴を上げた
彼の記憶は シェイクされて耳から流れ出た
何も残されていないと思っていたが
ポケットの中にあった財布に身分証があった
その身分証を確認すると
他の自分の情報を集めようとした
このままでは今居る森の中から抜け出しても
我が家に着くことはないからだ
そこで 彼は辺りに散らばった
スライムのようにネバネバする液体の中を探り
溺れるように 埋もれていた幼虫を発見した
それを口に入れ 噛み砕くと幾つか思い出した
彼は裕福な家に生まれて 何不自由なく育ち
大学を卒業すると 一流企業に勤めた
その働きに期待され過ぎて 精神を病み
会社を辞めざるを得なくなり 自信がなくなった
また ネバネバの中から探し出した記憶の幼虫を
べっとり付いてしまった土を払いながら口に入れ
その土の味を感じつつも
また いくつか思い出した
彼は俳優を目指して劇団に入り
そこである女性に一目惚れをした
しかし 彼女は恋人がいたので
こっそりと後を付け回していただけだった
ネバネバは彼の周りに広がり続けて
5メートルほどの円になっていたので
その中を平泳ぎしながら
記憶の幼虫を 今度は土を払わずに食べた
彼は売れない作家で 金に困っていた
危ない人物から金を借りたことで もっと困った
借金は膨らんで その体験記を出版すると
借金の何倍もの印税を手に入れることが出来た
彼はもはや癖になってきた
ネバネバに潜む記憶の幼虫は中毒性があるようだ
彼の耳から流れ出たはずなのに
幾つもの物語があり 食べるたびに思い出した
彼は ある闇の組織の殺し屋で
1ヶ月に何件も暗殺を依頼されていた
嫁にはサラリーマンと伝えているが
息子には仕事を継がせるための訓練をさせた
刺激的な記憶の幼虫たちの味を知り
すっかり彼はその虜になってしまった
ベトベトの中に埋もれた全てを食べ終えると
無力感が襲い 何となく空を眺めていた
帰るべき我が家は 数十件あるとわかり
帰ることを諦めよう と結論付けた
新しい記憶の幼虫を貯めようと思い 森から出て
数日も経たずして 彼は実際にそうした