No375
ひんやりとした空気が漂う洞窟の中を歩く男は
まるで内臓の中にいるような感覚に襲われた
上から滴る水は消化液のように感じて
溶かされるのはそう悪くないと感じた
彼は弾を一つだけ込めたピストルを
スーツの内ポケットに入れていた
静かな部屋で飲んだくれていても
この一つの弾がなくならないので ここへ来た
彼の革靴は陽気な音を立てて 反響し
彼の気持ちとは裏腹に
いつまでも聞こえて 立ち止まっても
追いかけてくるように聞こえた
良く見れば 洞窟の壁面は
うじゅるうじゅると動いている
彼が鳴らしすぎた靴音が
洞窟に命を吹き込んだのかも知れない
壁面はみるみる淡いピンク色になり
どくんどくんと脈打つ音も聞こえ
彼は怖くなって ピストルでそこらを叩くと
弾力があり 勢い余った彼はバウンドした
洞窟で靴音はもう立たないが
無音で弾み続ける彼の身体
ピストルが内ポケットから出て
彼の周りで 一緒に弾んでいる
内臓のようになった洞窟の中
彼はピストルを捕まえようとする
奥へ奥へ 誘われるように吸い込まれると
黄色い地底湖が突然現れ ピストルが落ちた
慌てて黄色い地底湖に潜り
彼は濁った黄色の中でピストルを探す
深く深く 流れのままに吸い込まれると
底にあったピストルを掴み 彼は安堵した
それから 彼の手は溶けた
錆びたピストルがまず彼を溶かした
開けたままのはずの瞳は
溶けてなくなり 見えなくなっていた
次に耳がなくなり
口も鼻もなくなった
呼吸が出来ない状態にあると
痛みはそれほど辛くなかった
顔がずるむけて 髪は落ち
足も胴体もなくなった頃
頭はようやく溶けだして
脳みそは最後に ぽちゃんと熔けた
ピストルは溶ける彼を眺めていた
ピストルは黄色くなり やがて茶色くなった
洞窟には もう誰も来なかった
洞窟なんて 最初からなかった