No.509 毛並みを整えて

 

 

新しい畳のにおいがする
それに混じって 鉄のにおいもする
彼はそのにおいたちに鼻をくすぐられながら
心地良さそうに寝転がっている

 

少し開いた窓から 良い風が入って来る
網戸の向こうでは ぼやけた空が見える
彼は 友達と 公園で一緒に駆けた頃を思い出す
(あの時 空には雲一つなかったな)

 

それから 急に寒気が走り
底知れぬ穴の中に 吸い込まれそうになる
そんな恐怖に気が付くと
先ほどまでの優しげな感傷は変身する

 

水たまりがあった
彼はそれで遊んだ頃を思い浮かべ
あの水たまりが 弾けて
小さな光の珠になったのを 懸命に思い浮かべる

 

変身した感傷が ナイフを持ってこちらを見ている
彼は 頭の中や心の中から逃避できる場所を探す
それでも 掛け声と共に振り下ろされたナイフが
彼の胸の内の 弱さを取り出そうとしている

 

(助けを呼ぼう
 近所に住む小さな女の子は
 いつも僕を励ましてくれた
 あの子を呼ぼう 限りなく大きな声で

 

 それか 公園で遊んだ友達を
 今はどこにいるのかわからない
 あいつを呼ぼう そうしたら
 一緒に戦ってくれるかも知れない)

 

彼がそう考えていると ガチャンと
玄関から 鍵を開ける音が聞こえる
絶対にありえないとは知りつつも
その向こうにいるのは 女の子か友達だと思い込む

 

大柄な男が入って来る
彼にはもう見慣れた顔だったが
半開きの目は血走っていて
怒り狂ったような おぞましい顔だ

 

「まだ生きていやがったのか
 バカ犬め あんだけ懲らしめたのによ
 そのまま腐っちまえば良い
 俺は お前が大嫌いだ

 

 せっかくの新しい家が
 お前のせいで汚れちまったんだからな
 だが感謝しろよ
 そこでくたばるのを許してやる」

 

新しい畳のにおいがして
それに混じった鉄のにおいで
彼は全てを悟りながら
それでも 心地良さそうに眠ろうとする

 

おやすみ
そう聞こえた気がした
お帰りなさい
そう聞こえた気がした

 

彼は 最後に少しだけ 鳴いた
遊んでくれた 全ての友達へ
公園や 水たまりへ
さようならと 言えた気がした