No.349 音楽の酸素ボンベを担ぐ男

 

 

ウォークマンから伸びたイヤホン

耳に入れて 人混みをするすると抜ける

彼はその瞬間だけ 優越感を感じる

一人 また一人 遠ざかってゆく

 

 

彼が 危なげなく辿り着ける場所なら

きっと誰でも行けるところなのだろう

彼が 足をかけようとする連中をすり抜けて

行けた場所ならば それは彼の居場所なのだろう

 

 

スピードを出し過ぎた彼は 大柄の男と肩がぶつかり

ドラマのワンシーンのように喧嘩を売られる

「どこを見てんだ馬鹿野郎」と言われたが

彼の耳には音楽しか流れていない

 

 

右のまぶたが腫れ上がり 青紫になると

流石に音楽が滞り始めた

ブツ切れのデヴィッド・シルヴィアン

力弱く 何かを囁いている

 

 

しかし彼は 痛みに耐えながらも

イヤホンを外さずに また人混みへと入ってゆく

今度は ぶつからないように気をつけながら

ズキズキと痛む右目の周りを気にしながら

 

 

彼は歩き 振り返る人を無視し 家に辿り着く

そこが彼の唯一の居場所なのだと 改めて感じる

イヤホンを外し レコード盤をセットすると

部屋中にデヴィッド・シルヴィアンが充満する

 

 

テレビを付けると 相変わらず増税の話をしている

音楽と一緒に ケチ臭い話が次々と飛び交う

彼はうんざりした顔でテレビを消す

冷凍庫から氷を取り出して 袋に入れて右目を冷やす

 

 

音楽が止まると 次は何をかけようかと思う

彼は 音楽がなければ息も出来なくなる

もう聞いていないレコードは無いので

溜めておいたCDを流し 一人用のソファに座る

 

 

右目から涙のように水が流れる

氷が次第に溶けていき 痛みも薄れていく

デュラン・デュランの気分では無かったが

音楽は彼に空気を入れ 萎むのを防いでくれる

 

 

次の日の朝 イヤホンが無くなっている

家のどこかにあるが どこにも見当たらない

彼は困り果てて 今日は外に出ないことを決める

部屋の中では ダイヤモンドの犬が吠えている