No.448 芝刈り機の音を聞くもの
蛇口をひねる 水が出る 手で掬う
冷たさで少しだけはっきりとする
彼は早く起き過ぎたことを後悔して
また寝室に戻り だらだらと過ごす
布団の中で体勢を変えつつ
何処かが痛くならないようにする
満遍なく広がり 適度に縮こまり
彼は 朝が彼を運び出すのを待っている
時間が来ればまともな服に着替え
リビングにある文庫本を開く
カーテン越しに聞こえてくる
爆発しそうな芝刈り機の音と過ごす
冷蔵庫に入れておいた昨日の料理を
レンジで温めて 食べると眠くなる
今日は何もない 彼にはいつも何もない
読むことに飽きると 聞くことに徹する
芝刈り機の音は何処までも付いてくる
彼の感情さえも綺麗に揃えてゆく
音楽はそれよりも少し大きな音で
彼の感情を乱そうと必死になる
音が無くなると 彼は寂しくなる
重要な用事を思い出したフリをする
(彼に芝刈り機の音は もう聞こえないだろう
彼は出かけたまま もう戻ってこないだろう)
リモコンは心配そうに
エアコンに質問する
エアコンはエアコンで
その答えを探している
蛍光灯はカバーと話すのに夢中
冷蔵庫と炊飯器はひたすら議論する
用済みの洋服たちは未来を夢見る
文庫本は開かれるのを待っている
蛇口は優しい手を思い出す
シャワーと浴槽は険悪になる
開かれた扉は閉じたままの扉に歌う
閉じたままの扉は黙りこくる
芝刈り機の音をそいつらは再び聞く
プレーヤーの中のCDはそれに合わせて囁く
爆発しそうな その振動が伝わると
そいつらは同時に彼の幻影を見る