No.590 月と彼

 

 

彼は刑務所の前で誰かを待つフリをしていた

出所祝いに貰った吸い慣れない煙草を吸いながら

何もやらなかった罪は 思ったよりも彼を閉じ込めた

瞳を閉じて 深呼吸すると 煙草を捨てて歩いた

 


いつの間に 何も知らないような顔で

彼を育てた街は 彼を出迎えていた

耳慣れぬ音の洪水の中で 少しだけ苦しく

何度も何度も 胸の辺りをさすった

 


懐かしい景色の断片を頼りに進んで行くと

下校中に菓子を買った駄菓子屋があった

そこでチューイングガムを買って

噛みながらすたすたと歩き続けた

 


三人の仲間たちは河川敷に集まっていた

彼が好きだったキャッチボールをしようと

グローブをはめている奴もいた

ただ 辺りはすっかり暗闇に包まれていた

 


彼もグローブをはめた

一人から投げられたボールを掴んだ

もう一人へと投げ返すと

もう一人は もう一人に投げ返した

 


四人はしばらく危なっかしい遊びをした後

ベンチに座りながら 缶コーヒーを飲んだ

飲み干した後 空き缶を灰皿にして

煙草を吸いながら 彼は月を見ていた

 


胸に支えていた痛みの正体がわかって

彼は堰を切ったように 泣いてしまった

そして仲間たちに肩を組まれながら

一緒に 狼の遠吠えのように泣き叫んだ

 


「月は! 雲がある時は何をしているんだ?

 寝ぼけやがって! 俺が何をしたっていうんだ!

 俺はお前のように見下ろしていたのか?

 何故誰も助けにこなかった!」

 


彼の言葉を聞いて 仲間たちは辛くなった

ただ 彼が抱えていた痛みを理解する事は出来なかった

泣き疲れ 泣くことが馬鹿らしくなった後は

中華料理店に行って 飯と酒で騒いだ

 


彼は それから仲間たちと会うことはなかった

仲間たちは 次第に彼の顔を忘れていった

彼は あの夜の月の輝きを忘れることはなかった

月は あの夜の彼の言葉を 忘れることはなかった