No.539 錯乱視

 

 

彼は左眼を閉じて 小説の文字を読んだ

右眼だけだと ミステリーに思えた

右眼を閉じて 左眼で読んでみると

不思議なことに ファンタジーに思えた

 


彼の右眼は 何事も疑ってかかる

左眼は 何事も信じてしまう

それは電車の中の景色も

外を流れていく風景も同じだ

 


右眼で見た車内では

人々に隠し事があり 彼が見つけると隠す

風景の方は どんよりと重たくなり

今にも雨が降りそうに見える

 


左眼で見た車内では

人々の望みが見えて 煌めきが彼の目を眩ませる

風景の方は 虹色の空に鯨が飛び

今にも雨が降りそうに見える

 


彼は思い切りこめかみを叩いてみた

右 左 右 左… と交互にやっていると

右眼と左眼の見える物が混ざってきて

その状態で小説の続きを読んだ

 


ドラゴンの殺人犯は エルフの刑事に追われた

刑事は 口髭を生やした老人の背中に乗った

魔法の杖が 殺害現場に転がっていた

犯人が残したメッセージは 子供が描いたような落書きだった

 


彼は小説を閉じて 目的の駅で降りると

妖精たちが案内をする方へと歩いて行き

落とし物のハンカチを探すドラゴンとすれ違い

改札を出て 繁華街へと向かった

 


事務所に戻ると 一人の女が居て

「それで 夫は浮気をしていたんですか?」と彼に聞いた

彼は 冷蔵庫から小さなペットボトルの水を取り出して

「はい 間違いなくやってましたね」と答えた