No.498 工業地帯の大きな家

 

 

耳慣れたのは 叩く音 削る音

伸ばして 穴を開けて 溶かして くっ付ける

そんな音たち 彼の耳は自動的に小さくなり

なるべくその音たちを拾わないようにした

 


その日は ワインのアルコールが抜けたような

ぶどうジュースを飲みながら

その日に出た 2年生の宿題を解こうとして

机に向かって 指を動かしていた

 


工場から帰ってきた親父が 貯えた髭を

札束ほどに大切に撫で付けて 何か叫んでいる

玄関から 彼がいる部屋に辿り着くまでに

リビングと祖父と姉の部屋と両親の寝室を通る

 


「てめえ 宿題なんかやってんのか」

そう親父が聞いても 彼は無視をした

遠くの方から また鉄を割る音がした

それを削る音まで 微かに聞こえた

 


こういう緊張する場面では

彼の小さな耳は 異常に役割を果たした

逆に 親父の拳がめり込んで

右目の周りに青い痣が出来た後は 何もしない

 


彼は泣きべそをかいてしまい

笑われるのが嫌で 二階へ上がり

三階へ上がり 四階に上がって

屋根裏までの梯子を上がった

 


埃と蜘蛛の巣だらけの屋根裏部屋は 

彼にとって唯一の落ち着ける場所だった

蜘蛛が彼に言った 「ぼうず また来たか」

彼は答えた「うん だって酷いんだ…」

 


それから彼と蜘蛛は 色々なことを語り

語り尽くすこともなく 夜を迎えた

母親が彼を呼んでいるので 仕方なく

一階まで降りると 家族がリビングにいた

 


祖父 祖母 姉 兄 妹 弟 知らない男

一度だけあったことのあるような女

臭そうなおじいさん 臭いおばあさん

そして オイルのにおいを染み込ませた親父

 


彼らの前には それぞれシチューが並んだ

具材は 聞かない方が良いと思うほど どす黒い

彼はそのシチューが凄く苦手だったが

もう親父に殴られたくないので 食べ切った

 


食後に屋根裏部屋まで行くと

彼は一階にある荷物を此処へ移そうと思い

住人全てが寝静まったあたりで

そっと 部屋の引越しを済ませた

 


次の朝 親父が彼の部屋を開けると

彼も彼の荷物も 全てがなくなっていた

親父は彼が出て行ったと思って喜び

そこに自分の好きな本を隠した

 


彼は 梯子を屋根裏部屋に仕舞い

板を閉め 四階との関わりを絶ってしまったので

彼が 屋根裏にいることなど知らずに

住人たちは 彼がいなくなったことを喜んでいた

 


一週間が経ち 蜘蛛は彼に言った

 「食べないで良いのか?お前 随分と弱っているぞ」

彼は答えた 「なあに? もう声が聞こえない」

蜘蛛は必死に叫んだ「しっかりしろよ!」

 


そうして数ヶ月 数年と経ち

蜘蛛は家族が出来て 良い巣にも住んでいた

あと 何年か経つと この家の住人は全員引っ越して

蜘蛛も 良い巣も 重機で崩されて 瓦礫に埋もれる