No.427 花の香水と赤い口紅

 

 

彼女は弁当箱の中にウィンナーと卵焼きを入れる

彼はまだ寝室で寝ている

清々しい朝の雀の声が聞こえる

弁当箱の蓋を閉じ 布に包んで結ぶ

 

 

彼女は合鍵を忘れたフリをする

彼はまだ寝室で寝ている

ドアノブの冷たい感触で背筋が伸びる

スーツが風を受けて少し膨らむ

 

 

彼女は満員電車に乗る

彼はまだ寝室で寝ている

後ろにいたサラリーマンが彼女に鼻息を当てる

彼女は目の前で空いた席に座る

 

 

彼女はお茶を汲み 上司の元へ持っていく

彼はまだ寝室で寝ている

上司は優しく「ありがとう」と言う

彼女は彼から言われたことがないことに気がつく

 

 

彼女の中で何かが弾ける音がする

彼はまだ寝室で寝ている

上司の端正な横顔に見惚れ

今やっていた仕事の内容を忘れてしまう

 

 

「私は女だ」と頭の中で声がする

その方へ歩いていくと 光が差し込む

大きな手が差し伸べられる

彼女はその手に触れ 外界へと連れられる

 

 

外界では 空はピンク色で 紫の雲があり

木々はなく 茶色と緑のビルが立ち並んでいる

その中に 可愛らしい小屋があり

差し伸べられた手の主と そこで紅茶を淹れる

 

 

紅茶には砂糖が多く 甘さが脳に響く

彼女の奥底に染み渡り 支配していく

本当の自由はここにあるのだと錯覚しながら

支配されることに快感を覚える

 

 

可愛らしい小屋から出ると

普通の夜の街並みが彼女を迎える

歩き 電車に乗り 自宅へと辿り着く

彼の部屋には もうしばらく行かないと決める

 

 

彼女は次の日 連休を利用して旅に出かける

そこであった何人かと関係を持ちながら

自分に男が寄り付く意味を考察し

彼女なりの結論と共に 自宅へと帰って行く

 

 

彼もまた 何人かと関係を持ちながら

彼女の帰りを待っている

メールの中の「今日会いましょう」と言う文字で

それまでの彼の憂鬱は嘘のように飛んでゆく

 

 

彼女は彼に何を期待しているわけでもなかったが

やはり 自分は彼のために綺麗になったと気が付く

化粧をしつつ 自らの美しさを改めて実感し

彼のための洋服に着替え 彼のための嘘と真実を身に付ける