No.322 鉄に関するいくつかの出来事
右腕をネジで締めて 神経が繋がり
痛みを感じる瞬間が 彼にとっての慰めだ
機械獣どもにくれてやった右腕は
今では便利なナビゲーターになっている
「私の働きで快適ですか?」
女の声は彼に語りかける 右腕に向かって
「まあまあだな 今日は曇りだ」
そう言った彼は 極彩色に彩られた街並みを窓越しに見る
機械獣どもが潜む「鉄の森」に近い場所
貧しい移民が暮らすスラムは 活気があった
原始的な200年前の暮らし方をしている
彼が果物を初めて食べた時は 腹を壊した
機械獣の部品は高く売れる
今年で25歳になる彼は
金には困らなかったが 不自由に暮らしている
都会では 彼が命懸けで狩った部品が使われる
携帯電話に良く似た探知機は
機械獣が放つ独特な音波を読み取る
右腕を食われた時は その探知機を落としていた
彼はそれから 探知機を肌身離さずに持っている
あとは狩猟用のレーザー銃だ これは会社から配られる
新作が毎月のように送られるので 月刊誌のようだ
彼はそれを改造するのが好きで 威力を上げた
それを撃つと弾道の「鉄の木」が溶けてなくなる
目視出来るのならどれだけ離れていても大丈夫だ
この前は 2キロ先の大型の機械獣を仕留めた
この銃がよく出来ているのは 高温に強い機械獣は溶けず
ショートするようになっている所だろう
鉄を溶かすほどの高温は ある意味撃った目安だ
なので普通 威力はそれほど要らないのだろう
しかし 彼は「鉄の木」が溶けた匂いが好きだ
そして赤い液体になって流れる様 冷えて固まっていく様も好きだ
鏡の前に立つと 自分の顔をじっと見る
彼は美しい顔だが 自分に酔っているわけではない
鏡を覗き込み 鏡の中の瞳に自分が映る
その映った自分の瞳の中に また小さな自分がいる
鏡は永遠を作り出して 彼は瞑想に近い体験が出来る
顔を洗い 歯を磨き 服を着替えて 外に出る
動物や植物が焼ける匂いがする 彼は腹が減った
都会では禁止されているが ここでは動物や植物を食べられる
劣悪な環境だが 飼う小屋があると聞いた
フタガシラザルはその名の通り
2つの頭を持っていて 目が大きい
その2つの頭が喧嘩をする動画は見ものだ
それぞれが意志を持つので 気苦労が耐えないだろう
彼はそのフタガシラザルを使ったスープを飲んだ
行きつけの屋台のオヤジは気の良い人物だ
「よう 右腕の調子はどうだい?」と聞かれ
「ああ まあまあだな」と彼は答えて 笑った
煙草も未だに葉を紙で包んだものだ
これが彼がここに留まれる理由の一つだ
煙草屋の婆さんは 彼にサービスしてくれる
マリファナを混ぜた 美味いタバコを2つ買う
さて と一息つき 彼は「鉄の森」に向かう
ここは元はアミューズメントパークだったが
今では 「鉄の木」が伸び放題で
200年前のポスターに写っていた城を飲み込んでいた
何故か いつからかはわからない
自然界から自然が消え 鉄が伸び始めた
不思議なことに 鉄だけが伸びて
他の金属を侵食してしまっている
彼はスラムに来るまで動植物を見た事は無かった
彼のような世代は メカニカル世代と呼ばれた
スラムでは 栽培された植物もよく見かけた
彼はそれがどこでどう作られているか知らない
煙草を吸い始めると 陽気になっていくのがわかる
あらゆるものが飛び交って 情報が増える
感覚は冴えていき 身体が広がる気がする
その網にかかれば 彼はまた1頭機械獣を仕留めるだろう
冴えすぎた感覚の中で 彼はふと
今日誕生日だったことを思い出す
25回もやって来て まともに祝ったことは無い
両親は彼が9つの時に亡くなり おばに育てられた
おばと暮らした5年間は悪夢だった
9回もチャンスがあるのに祝わなかった両親も相当だが
おばは彼に酷い虐待をして 奴隷のように扱った
もう思い出す機会も少なくなった記憶であることが救いだ
14歳にもなれば 都会では働ける
仕事はいつもあり 誰かが困っている
彼は都会に生まれて幸運だったのだろう
スラムで生まれ育っていたら 生き残る保証はない
彼は都会が好きだ スラムよりは生きやすいからだ
親しげな隣人が居なければ 彼はとっくに帰っている
もう3年も出張しているが 給料は相変わらず良い
サボっていても 自動で振り込まれるが スラムでは使えない
なので 彼は機械獣を解体する時
こっそり必要でない部品を取っておいた
ここでしか流通しない紙幣で買い取ってくれる銃専門店で売り
ここでの生活を整えている
彼がまだここに慣れない頃に右腕を失い
手術のために都会に戻った時
永遠に辿り着かないのでは無いかと思うほど
遠い場所に来てしまったと感じた
しかし 機械の腕になり ここへ戻ってくる時には
たった2時間しか離れていないと実感して
都会とスラムではあまり変わらないことに気付き
どちらに居ても同じことではないかと気付いた
「鉄の木」はどんどん都会に向かっている
50年後には 小さな島国は「鉄の島」になるだろう
それでも 彼らは生きていく
何故なら 最早ほとんど「鉄の島」に変わりないのだから
彼は探索を切り上げ 一旦スラムに戻って来た
獲物は見つからないし 腹が減ったからだ
しかし いつも見慣れた極彩色の街並みは
いつもとは違う 濃い赤にまみれていた
「なんだ これは」
彼は絶句した 機械獣がスラムにいる
スラムにはそこそこ頑丈な機械獣撃退用の高い壁があるが
大きな穴が空き そこから赤い街並みが見える
「そんな そんなことが」
今朝会った人物の頭が転がっている
機械獣は人間の頭は食わない
人間の顔を認証して制限するシステムがあり 食えない
「君 ここの住人か?」
うすら笑いを浮かべた 汚い作業服の男が彼に話しかけた
男は「鉄の森」から歩いて来た
しかし 「鉄の森」の中で 生き延びられるはずもない
「何故 あんたはそっちからやって来た?」
彼は 赤い街並みから目を離さずに聞いた
「私は君の会社のライバル会社に務めているんだ」
男も同じ方向を向いていた
「だが 私はこんな野蛮な連中とは暮らしていない」
男は銃を構えながら話し続けた
「野蛮? あんたよりは平和的だったと思うが」
彼は怒りを抑え 冷静に 銃を握っていた
「私は動植物廃絶主義者だ 全て機械になれば良い」
男は銃を突きつけ 近寄って来た
「撃てよ 何故喋ってる」
彼の掌に冷たさがじんじんと伝わる
「我々に力を貸してくれないか?」
男はまた近寄り 同じトーンで話した
「自分は役に立たない 早く殺せ」
彼は 自分の心の冷たさに 少し傷付いていた
しゃがみ 銃を抜き 後ろにいた男を撃った
男は悲痛な叫び声を上げて 溶けていった
男に引き金を引かせることもなく
彼は男の存在を消した
それからスラムへ戻り 機械獣を停止させた
転がっていた住民たちの頭を銃で溶かした
いつの間にか流れていた涙に気が付くと
胸が張り裂けそうに痛み 何も無くなった街並みで叫んだ
後日都会に戻った彼は
報告書をまとめて 会社に辞表を提出した
しかしそれは認められず 彼はこう言われた
「良くやってくれた これからも我が社に貢献してくれ」と
彼は 数日後 別のスラムにいた
今回の仕事では 隣人と無駄に交流しないように決めた
銃がまた会社から送られてきた その箱を開け 銃を取る
ずしりとした重さと 冷たさが 彼を無にさせた