No.492 彼の手帳と夜たち
仕舞い込んでおいた手帳を取り出して
彼は数年前の予定と 日記を読んでいた
あらゆる変化が書き込まれて
その時の心情が 文字に現れていた
ソファに座り熱いコーヒーを飲んで
香りが鼻から抜けて 深いため息を吐いた
蛍光灯の暖かな光に合わせて
気の利いたジャズを流して 手帳を読み進めた
彼と一人の女が出会い 関係を深めた夜も
うまくやっていたはずなのに 別れが訪れた夜も
彼が一つの成功を収めて 歓喜した夜も
その後失敗して 全て失った夜も
友人と久しぶりに酒場へ行った夜も
スコッチを飲みまくって くだを巻いた夜も
女と別れてから 一度だけ女を抱いた夜も
家の前で若者が喧嘩していて 仲裁に入った夜も
ジャズに寄り添うように 手帳の日記の項目は
夜のことしか書かれていなかった
彼はそれを気に入って 出来事を作り事に変えて
のちに一冊の小説を書き上げた
女と別れてから 一度抱いた女のことだけは
その小説に入れることが出来なかった
何処かで 何かの拍子に 読んでくれないかと
一縷の望みを託して 彼は本を売った
彼の夜はいつでも特別だった
全ては夜に起こっていると言っても良かった
過ぎ去った夜たちを閉じ込めた手帳は
今も同じ所に仕舞い込まれている