No.363 スイッチ
男が一人 スイッチがひとつ
誘惑に負けて そのスイッチを押すと
辺りに紙吹雪が舞い 彼の頭に
色とりどりの折り紙が乗る
スイッチをまた押すと 海水が流れ込み
コンクリートで覆われた彼の部屋はなくなり
巨大なクジラが住む湖の底で 揺らめく海面を見上げ
永遠のように広がる水と同化する
スイッチをまた押すと 水は消えて
灼熱の太陽の下で暑くなった砂に立つ
汗だくのラクダに挨拶をしたら
焼けてなくなった靴底の代わりをしてくれた
スイッチをまた押すと 彼の部屋に戻った
陰気な空気で息が詰まりそうだ
もう一度 もう一度と 何度もスイッチを押した
しかし何も起こらず 彼の部屋は彼の部屋だった
スイッチをまた押すと ひび割れてしまった
中から訳の分からない部品がいくつも飛び出した
彼は それをかき集めて テレビに接続した
ノイズの向こうに クジラとラクダが暮らしていた
スイッチをまた押して チャンネルを合わせる
もう二度と会えない二匹の生活を眺める
スイッチをまた押して 音量を上げる
彼が泣いていることに 誰も気が付かないように