No.333 忘れられた男
かつて 一日に彼を見ない日はない
そんな人気者だった彼は 当然のごとく捨てられ
置き去りにされた寂しさから 酒浸りになって
この世のあらゆるものから逃げていた
彼は誰かの夢の死骸の上に立っていた
今では 自らの夢を見失って
風船を手放してしまった少年のように
無限に広がる空を見つめている
彼が手にした財産は 何かを考える時間と
過去を貪り尽くす時間を 充分に与えた
しかし そんな時間すら滞り始めると
あとは自殺をする方法を考えるようになった
彼を崇めていた連中は 彼に飽きただけで
罪の重さなどは 感じてもいないだろう
所詮 遊び尽くされた玩具と同じ
彼は 自分の意思だけでは生きていけない
彼は 誰かの夢になったかもしれない
しかし それも過去になれば 無意味になる
彼が積み上げてきたものも 今では崩れていて
毎日 酒を飲むことでしか 自分を保てない
そして 想像上で 何度も何度も
自分の頭に向けられた銃の引き金を引く
爆音と共に 吹き飛んだ頭蓋骨と脳髄が
壁に突き刺さり へばりつき 満足して眠りに落ちる
誰かが どこかで 彼のCDを聴いている時
彼は 知らぬうちに また蘇っているのだろう
しかし もう遅い あまりに時間が過ぎてしまった
彼が真に蘇ることは二度とないのだろう
No.322 鉄に関するいくつかの出来事
右腕をネジで締めて 神経が繋がり
痛みを感じる瞬間が 彼にとっての慰めだ
機械獣どもにくれてやった右腕は
今では便利なナビゲーターになっている
「私の働きで快適ですか?」
女の声は彼に語りかける 右腕に向かって
「まあまあだな 今日は曇りだ」
そう言った彼は 極彩色に彩られた街並みを窓越しに見る
機械獣どもが潜む「鉄の森」に近い場所
貧しい移民が暮らすスラムは 活気があった
原始的な200年前の暮らし方をしている
彼が果物を初めて食べた時は 腹を壊した
機械獣の部品は高く売れる
今年で25歳になる彼は
金には困らなかったが 不自由に暮らしている
都会では 彼が命懸けで狩った部品が使われる
携帯電話に良く似た探知機は
機械獣が放つ独特な音波を読み取る
右腕を食われた時は その探知機を落としていた
彼はそれから 探知機を肌身離さずに持っている
あとは狩猟用のレーザー銃だ これは会社から配られる
新作が毎月のように送られるので 月刊誌のようだ
彼はそれを改造するのが好きで 威力を上げた
それを撃つと弾道の「鉄の木」が溶けてなくなる
目視出来るのならどれだけ離れていても大丈夫だ
この前は 2キロ先の大型の機械獣を仕留めた
この銃がよく出来ているのは 高温に強い機械獣は溶けず
ショートするようになっている所だろう
鉄を溶かすほどの高温は ある意味撃った目安だ
なので普通 威力はそれほど要らないのだろう
しかし 彼は「鉄の木」が溶けた匂いが好きだ
そして赤い液体になって流れる様 冷えて固まっていく様も好きだ
鏡の前に立つと 自分の顔をじっと見る
彼は美しい顔だが 自分に酔っているわけではない
鏡を覗き込み 鏡の中の瞳に自分が映る
その映った自分の瞳の中に また小さな自分がいる
鏡は永遠を作り出して 彼は瞑想に近い体験が出来る
顔を洗い 歯を磨き 服を着替えて 外に出る
動物や植物が焼ける匂いがする 彼は腹が減った
都会では禁止されているが ここでは動物や植物を食べられる
劣悪な環境だが 飼う小屋があると聞いた
フタガシラザルはその名の通り
2つの頭を持っていて 目が大きい
その2つの頭が喧嘩をする動画は見ものだ
それぞれが意志を持つので 気苦労が耐えないだろう
彼はそのフタガシラザルを使ったスープを飲んだ
行きつけの屋台のオヤジは気の良い人物だ
「よう 右腕の調子はどうだい?」と聞かれ
「ああ まあまあだな」と彼は答えて 笑った
煙草も未だに葉を紙で包んだものだ
これが彼がここに留まれる理由の一つだ
煙草屋の婆さんは 彼にサービスしてくれる
マリファナを混ぜた 美味いタバコを2つ買う
さて と一息つき 彼は「鉄の森」に向かう
ここは元はアミューズメントパークだったが
今では 「鉄の木」が伸び放題で
200年前のポスターに写っていた城を飲み込んでいた
何故か いつからかはわからない
自然界から自然が消え 鉄が伸び始めた
不思議なことに 鉄だけが伸びて
他の金属を侵食してしまっている
彼はスラムに来るまで動植物を見た事は無かった
彼のような世代は メカニカル世代と呼ばれた
スラムでは 栽培された植物もよく見かけた
彼はそれがどこでどう作られているか知らない
煙草を吸い始めると 陽気になっていくのがわかる
あらゆるものが飛び交って 情報が増える
感覚は冴えていき 身体が広がる気がする
その網にかかれば 彼はまた1頭機械獣を仕留めるだろう
冴えすぎた感覚の中で 彼はふと
今日誕生日だったことを思い出す
25回もやって来て まともに祝ったことは無い
両親は彼が9つの時に亡くなり おばに育てられた
おばと暮らした5年間は悪夢だった
9回もチャンスがあるのに祝わなかった両親も相当だが
おばは彼に酷い虐待をして 奴隷のように扱った
もう思い出す機会も少なくなった記憶であることが救いだ
14歳にもなれば 都会では働ける
仕事はいつもあり 誰かが困っている
彼は都会に生まれて幸運だったのだろう
スラムで生まれ育っていたら 生き残る保証はない
彼は都会が好きだ スラムよりは生きやすいからだ
親しげな隣人が居なければ 彼はとっくに帰っている
もう3年も出張しているが 給料は相変わらず良い
サボっていても 自動で振り込まれるが スラムでは使えない
なので 彼は機械獣を解体する時
こっそり必要でない部品を取っておいた
ここでしか流通しない紙幣で買い取ってくれる銃専門店で売り
ここでの生活を整えている
彼がまだここに慣れない頃に右腕を失い
手術のために都会に戻った時
永遠に辿り着かないのでは無いかと思うほど
遠い場所に来てしまったと感じた
しかし 機械の腕になり ここへ戻ってくる時には
たった2時間しか離れていないと実感して
都会とスラムではあまり変わらないことに気付き
どちらに居ても同じことではないかと気付いた
「鉄の木」はどんどん都会に向かっている
50年後には 小さな島国は「鉄の島」になるだろう
それでも 彼らは生きていく
何故なら 最早ほとんど「鉄の島」に変わりないのだから
彼は探索を切り上げ 一旦スラムに戻って来た
獲物は見つからないし 腹が減ったからだ
しかし いつも見慣れた極彩色の街並みは
いつもとは違う 濃い赤にまみれていた
「なんだ これは」
彼は絶句した 機械獣がスラムにいる
スラムにはそこそこ頑丈な機械獣撃退用の高い壁があるが
大きな穴が空き そこから赤い街並みが見える
「そんな そんなことが」
今朝会った人物の頭が転がっている
機械獣は人間の頭は食わない
人間の顔を認証して制限するシステムがあり 食えない
「君 ここの住人か?」
うすら笑いを浮かべた 汚い作業服の男が彼に話しかけた
男は「鉄の森」から歩いて来た
しかし 「鉄の森」の中で 生き延びられるはずもない
「何故 あんたはそっちからやって来た?」
彼は 赤い街並みから目を離さずに聞いた
「私は君の会社のライバル会社に務めているんだ」
男も同じ方向を向いていた
「だが 私はこんな野蛮な連中とは暮らしていない」
男は銃を構えながら話し続けた
「野蛮? あんたよりは平和的だったと思うが」
彼は怒りを抑え 冷静に 銃を握っていた
「私は動植物廃絶主義者だ 全て機械になれば良い」
男は銃を突きつけ 近寄って来た
「撃てよ 何故喋ってる」
彼の掌に冷たさがじんじんと伝わる
「我々に力を貸してくれないか?」
男はまた近寄り 同じトーンで話した
「自分は役に立たない 早く殺せ」
彼は 自分の心の冷たさに 少し傷付いていた
しゃがみ 銃を抜き 後ろにいた男を撃った
男は悲痛な叫び声を上げて 溶けていった
男に引き金を引かせることもなく
彼は男の存在を消した
それからスラムへ戻り 機械獣を停止させた
転がっていた住民たちの頭を銃で溶かした
いつの間にか流れていた涙に気が付くと
胸が張り裂けそうに痛み 何も無くなった街並みで叫んだ
後日都会に戻った彼は
報告書をまとめて 会社に辞表を提出した
しかしそれは認められず 彼はこう言われた
「良くやってくれた これからも我が社に貢献してくれ」と
彼は 数日後 別のスラムにいた
今回の仕事では 隣人と無駄に交流しないように決めた
銃がまた会社から送られてきた その箱を開け 銃を取る
ずしりとした重さと 冷たさが 彼を無にさせた
No.321 ブラックコーヒーと紅茶
「真実は 犯人が誰かなんて単純なことじゃない」
ブラックコーヒーが彼の喉を通る
「昔好きだったアニメで 一つだって言ってたけどな」
彼の話を聞く男の喉に 熱い紅茶が通る
「あれはただの子供騙しだ ガキ向けの戯言」
ブラックコーヒーの匂いが彼の鼻から抜ける
「では真実とは? お前の意見はなんだ」
紅茶の香りが男の癇に障る
「真実は 到底たどりつけないものだ」
彼は苦味で頭が冴えてゆくのがわかる
「それじゃ答えになってないだろ 答えろ」
男は渋味で不機嫌になっている
「真実とは この話が無駄ってことだよ」
ブラックコーヒーが冷めてくる
「まあそうだろうな お前はむかつく奴だ」
紅茶も冷めてくる
「さて 本題に戻ろうか」
ブラックコーヒーは飲み干され また注がれる
「さっさと話しやがれ」
紅茶も飲み干され コップは空のままになる
「あんたに疑いが向いている」
ブラックコーヒーは美人と離れて寂しがっている
「俺が何をしたって言うんだ」
コップはそのままにされて悲しんでいる
「いや 知っているんだ 心根は優しいことはな」
ブラックコーヒーが彼の喉をくすぐる
「勿体付けるな さっさと結論から話せ」
コップはどんどん冷えて机に張り付く
「すまないな」
ブラックコーヒーは銃声を聞く
「」
コップは男が倒れた衝撃で床に落ちて割れる
「ブシッ
ズォッ
プシーーーー
フスーーーー」
ブラックコーヒーはタバコの匂いを嗅ぐ
「」
コップの破片は男にのしかかられる
「真実は 死をもって完成される」
ブラックコーヒーは 灰皿代わりになる
「」
コップの破片は 男にめり込む
「人が一人死んだくらいで騒ぐんじゃねえよ」
ブラックコーヒーは煙草の味を確かめている
「」
コップの破片は 男とひとつになる
「」
ブラックコーヒーはニコチンとタールに飽きている
「」
コップの破片は 男の身体を知り尽くす
「」
ブラックコーヒーは震える美女の手で下げられる
「」
コップの破片は 随分とそのままにされる
No.320 虫歯な男
歯の痛みで彼は目が覚めて ロウソクを付けた
淡い光が 木漏れ日のようだが 顔は渋い
落ち着くために流すのは ピアノだけのアルバム
レコードがぶつぶつ途切れる度 歯が軋む
歯医者に言われた
「来週また来てください」
そんなことを彼が守れるはずもなく
「きっとあのヤブ医者のせいだ」とのたまう
汗だくになりながら 揺れる小さな火を眺め
煙草を咥え ロウソクに近づけ 煙を吸う
危なげなかった昨日たちにさようならと言うと
今日は明日と繋がり 眠れない夜は朝になる
歯医者に行こう
彼は生まれ変わったかのような瞳で
降り注ぐ太陽を浴びながら街に出たが
歯医者は休日だったので 開かない自動ドアを蹴った
途方もなくなり 虫歯も暴れ出し
腹が立ったので 一人でゲームセンターに行った
四千円が両替機に挟まっていた 周りを見渡して
彼は 少しにやけながらそれを盗んだ
大きなぬいぐるみは 四千円でも取れなかった
彼はヤケになって もう四千円ぶち込んだが
大きなぬいぐるみは 弾み 端に行き
とうとうアームが届かなくなり 彼はやっと諦めた
歯医者に行く予定で残していた金もなくなり
めそめそしたい気分で夕方を歩いた
もうこんなに時間が過ぎていたのか
そう思った時 痛みが蘇ってきた
結局のところ 彼は歯医者に行かなかった
歯は無事に取れて ぬいぐるみも中野で安く買えた
ただ ひとつ欠けた歯並びが 痛々しさを醸した
煙草を吸うと右の上の前歯が ひゅうひゅう鳴った
No.319 電話に出た男
ひび割れた昨日が 足元に転がる
悪夢から覚めても 憂鬱はおどける
寒がりな心が 気温を無視する
暑がりな身体が 悲鳴を上げている
電柱が傾いて 標識が回転している
電線が吹かれて 風とたわむれる
びゅんびゅんという 音にまみれる
電気が 脳天から 降り注ぎ 真っ白になる
彼は それしか覚えていない
悪夢から覚めた日の記憶と 感情しか持たない
尖った牙を覗かせて 電撃となってすり抜ける
あらゆる電話を盗み聞き あらゆる光をもたらす
電気の一部になったから
もう何も恐れずに済んだ
意地悪な上司も 耳障りなため息もない
悪夢に出てきて 怒鳴られることもない
電気の一部になったから
一部にしか居られなくなってしまったが
そんなことを気にする暇はない
後ろに続く 電気の行進
そんなある時
見覚えのある場所に来た
それは あの 風とたわむれていた電線
後ろから 電気たちに押される
押され 押され 押し出され
彼はまた 真っ白な頭に戻って来た
生意気な電気が上で笑っている
目が慣れてくると 帰路に着いた
彼が 何日にも感じていたのは
たった一瞬のことだった
彼は そのことを知った時 首を吊ろうと決めた
そうだ その通り もう決めてしまっていたんだ!
だから言ったじゃないか もう遅かったって
彼は 何を言っても無駄だったんだよ
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受話器を置くと ため息を吐いた
奴が死んだからって どうだって言うんだ
誰も悲しまないし 誰も喜ばない
はた迷惑な野郎だよ まったく
No.318 走る男
突然の雷と雨に驚いて
駅で呆然と立っている一人の男
彼は傘など家にも置かない性格だが
流石に困り果てて 分厚い雨雲を眺めた
電車は洗われているように
物凄い勢いで水をはじき返していた
彼は 少し屈伸をして 大きく息を吸い
全速力で駆け出して 電車の真似をした
疾走感が大きくなればなるほど
彼の顔は痛いほどに雨を受け止めた
頭の中にドヴォルザークが流れて
いつもの退屈な景色は線になって過ぎた
伝うエネルギーと水で身体は膨らみ
爪楊枝で刺すと空気が抜けるのではと思った
ドヴォルザークが大人しくなっても
足がつりそうになっても走り続けた
そして 雨が降っていない場所に辿り着くと
(もしくは 雨が上がるまで走っていた)
彼はやっと止まり 青空を見上げた
澄み切って 雲があったことを忘れるほどだった
彼の身体は だんだんと萎んで来た
すると ロードコーンやらサインポールやらが
腕や足から ぺこんぺこんと出て来た
膨らんだ時に突き刺さり 気付かずにいたのだ
「さて これからどうしようか」と
すっかり萎み切った彼は たるたるの皮をつまみ
それをこねて遊びながら腕を組み 考えた
考えるだけ考え また雨が降るまで 彼は何もしなかった
No.317 彼と猫と鏡
彼が朝起きて 顔を洗い
シェービングクリームを塗って 髭を剃る時
窓の外からの陽射しに欠伸をする猫は
鏡の前に行って 鏡の中の猫にひと鳴きする
鏡の中の彼が別人のようになると
猫は決まって驚いた顔をする
餌をボウルに入れて 車の鍵と煙草を持ち
ドアを閉め 静まり返った部屋で猫がまたひと鳴きする
彼はエンジンをかけて 煙草に火を点ける
古ぼけた音楽が鳴ると 片手でハンドルを切りながら
少し開けた窓から入る風を浴びる
赤信号に捕まると 止まった車は喉を鳴らす猫のようだ
「猫はタイヤを擦り付けて コンクリートを削る
彼は猫に乗って 海まで走っている
車は残された部屋の中で 餌を探して暴れている
倒れた掃除機が ボンネットに当たって凹む」
信号が代わり 暫くして 彼がそんな冗談を考えていると
目の前を通過する老人が見え
ハンドルを切り 避けたは良いが 減速出来ず
ガードレールをぶち破って 崖の下へ落ちていった
鏡の中の猫は 猫に言った
「たった今 お前の主人が事故を起こしたぜ」
猫は健気にも言い返した
「そんなことありえない! 僕の相棒は完璧だ!」
すると鏡の中の猫は 鏡の中の世界を伝って
彼の車を見えるように反射してやった
猫は 崖の下に突っ込んだ ぺしゃんこの車を見た
本当のことを知って ひとつ小さく喉を鳴らした
「だから言っただろう
全て本当のことだぜ
別にお前を傷付けるためじゃない
あの人間は もう死んだかもしれないな」
心細くてたまらなくなり 猫は家を出ようとした
でも鍵を開けるほど頭が回らず
窓ガラスに花瓶を倒して なんとか割れて
彼の元へ駆け出した
すると 先ほど彼が避けた老人が通りかかり
持っていた杖で 猫を何度も何度も殴り 殺した
老人は細長い煙草を取り出し 銀のライターで火を点け
ひと仕事終わったあとのように 満足気に深く深く吸って吐いた
老人は 止めてあった車のサイドミラーを食い入るように見て
鏡の中の老人に話しかけた
「あの気取った男と小汚い猫は 一体何をしたんだ?」
鏡の中の老人は 何も答えず 不敵に笑っていた