No.299 彼と鼠
彼の全てを受け止める海は
波が無く静かな夜の漆黒であって欲しい
その水は生物に恵みを与えるが
あらゆる残酷な事象をも飲み込んでいる
大きな身体はちぐはぐで
いつでもバラバラになる準備をしている
ベッドの上で蠢かなければ
起き上がれもせずに一日が終わってゆく
起きたところでワインを買いに行き
グラスなど使うことも無くカラにする
瓶が積み重なる部屋の角に大きな鼠が居ると
そいつに話しかけることで孤独を紛らわす
「やぁ また来たのかね」
鼠はベッドの足をカリカリと噛んでいる
「やぁ それを食べたいのかね」
鼠は瓶の裏に空いた壁の穴を出てゆく
ワインが無くなったので酒屋に出かける
気が向いたので近くにあった酒場で安酒を頼む
店主は彼を良く知っていて それも心得ていて
潰れるがままになると店の奥のゴミ置きに寝かしてやる
そこに 家で会ったのとはまた別の鼠がいる
「やぁ また会いに来てくれたのかい」
寝ぼけ眼の彼がつぶやくと鼠は寄ってきて身体を擦り付ける
「やぁ やっぱり会いに来てくれたのかい」
彼は次の日 自宅のベッドの上で目覚める
ゴミ置きからどう帰ってきたか 当然覚えていない
しかし 身体を擦りつけてきた方の鼠は
数ヶ月前 彼に余った肉の骨を貰ったことを覚えている
彼の全てを受け止める空は
雲が無く静かな夜の漆黒であって欲しい
その光は遠く果てしない場所から
あらゆる悲惨な事物を見つめ続けている