No.521 詩について考えてみたら 言い訳が生まれた
僕が一番身近に見てきて
実際に体感して 詳しくなり 描けるものは
人間の怠惰な側面なのだろうと思った
そして これから先もそういう詩を書くだろう
希望や夢があるからこそ
現実との差から逃げる手段を選ばざるを得ない
努力という言葉を否定して
自分の怠惰を許すしかない
僕の周りにはそういう人しかいないし
その誰よりも僕はそういう人間だと思う
それを否定も肯定もせず
そういうものだと詩に残したい
絵を描いても誰に見せるわけでもなく
売り込むわけでもない
詩を書いても同じことで
僕は逃げているし 怠け続けている
そうしなければ やらなければならないことを
やるべきだと思えないからだ
言い訳を続けて僕は働いて
その金で欲しいものを買う
この当たり前こそが 僕が見てきて
強く印象に残る人間の本性だ
夢を叶えた人間は違うかどうかは知らない
僕は夢を叶えていないからだ
ただ 心のどこかでは
綺麗事を身に纏って説教をかましてくる奴らは
誰にも見えないところで
何かを怠けているのだろう
夢を叶えたとしても
現実が自分を置いていくとしたら
悪態を吐きながら
去っていく人々を見送るしかないだろう
ずっと続くものはない
必ず全てが終わる
だからこそ怠けていないとやっていられない
そういう態度で望まないと 続けられない
そうは言っているが
僕は行動に移すことだけは早いと思う
しかし 行動したとしても
何も残せなかった結果が 怠ける理由になる
怠けた時間に僕は娯楽を見つけて
飽きるまで貪り尽くす
「その時間で詩や絵を仕上げることも出来るのに」
そういったことから目を逸らすために また娯楽を増やす
「行動に移すのは早い」と書いたが
飽きてしまうことが それよりも早いかも知れない
しかし そんな僕が縋り続けている絵と詩は
きっと僕にとってなくてはならないものなのだろう
もっと多くの人に読んでもらいたいと思いつつ
そのための努力を怠けてしまうことの言い訳が
詩を考えていると ずっと頭から離れなくなって
本当に弱い人間なのだなと実感出来た
あと きっと僕は人を幸せにするために
何かを作り出すことは出来ないのではないかと思った
僕は誰かに危害を与えるために詩を書いているのかも知れない
その危害は 見えない毒のようなものだと思う
その危害は 人によっては良いものになるのかも知れない
わからないことばかりだが
それは多くの人に読んでもらったことがないからだ
ただ 僕は僕の作れるものを 作りたい時に作るだけだ
僕がやりたい時が来れば
もっと行動を起こして人のことを考え
どういったものなら好かれるかも考え
作ることを始めるのかも知れない
ただ 今は自分勝手な夢ばかりで
漠然とした「読者がいるかも知れない」という希望しかない
そして 努力という言葉は好きじゃない
僕は怠けたまま 何かが起きるのを待っているだけだ