No.132 あいつ
感覚がなくなるまでつねった頰
感覚がないのでいつまでもつねる
つねる必要すら無かったと知り
見知らぬ世界を歩き出す
知った顔が何人かいる
時代や性別がごちゃ混ぜだが
あれは担任の教師だったか
あれはいじめっ子の女装か
不思議なことに
人気者になれた
あいつを探したけれど
あいつは見つからなかった
鏡が現れた
大きくて高そうだ
自分の顔を見ると
あいつの顔になっていた
周りの人々がこちらを見て
あまりにも驚いていたので笑った
あいつだから人気者なんだ
あいつだから驚いているんだ
憧れはなく
蔑んでいたあいつが
初めて羨ましく思って
悔しさで涙が溢れた
目覚めると
天井が低く見えた
壁は近づいて見えた
窮屈な部屋を出て空気を吸った
そしてあいつは
死にそうな顔で道を歩いていた
何故か安心して呼び止めると
あいつはこちらを向いて笑った
No.131 お似合いの二人
何をするにも覚束ない男と
何をするにもそつなくこなす女
二人は出会ってたちまち恋に落ちて
落ちた理由も分からぬまま真っ逆さまに
派手に着飾って飲み歩いた街並みに
小鳥が飛んでカラスが鳴いて二人きり
覚束ない足取りとそつなく動く頭で
計算してみれば明日はきっと夢心地
何気なく言った一言で窮屈になり
男は女を振り払うために必死
何気なく蘇った考えで幸福になり
女は男にしがみつくために必死
何をするにも冴えない男と
何をするにも要領が良い女
二人は出会ってたちまち愛に溺れて
溺れた理由も分からぬままに真っしぐらに
派手に飲み歩いた後に着く男の部屋に
置き忘れていた女のピアスと二人きり
覚束ない思考とそつなく動く身体ごと
計算高い女は明日はきっと夢の中
何気なく言った一言でその気になり
男は女を引き止めるために必死
何気なく裏切られた気分で不幸になり
女は男を見捨てるために必死
そんな毎日を繰り返す 怠慢な自由に
待ち構える未来は真っ暗な二人きり
美しく燃える朝日か夕日かも分からぬ太陽が
二人きりの部屋に差し込んでいる
No.130 怠慢な自由
書類の整理をしている
退勤から7時間過ぎた
1から10にAからZ
無駄を省いて効率良く
息つく暇もなく書類を
並べ畳んで切って貼り
暗号のような列に苦戦
頭の中は真っ白になる
白紙に戻れば書き出す
書き出せば白紙に戻す
出勤時間まで続く仕事
シュレッダーは居眠り
電車の中の老若男女は
週末の予定を実行して
書類を大事そうに持つ
スーツ姿を笑っている
被害妄想だけが肥大し
車内広告にも罵倒され
草臥れたネクタイには
首を絞められて苦しい
昼飯時も書類に追われ
退勤電車も紙に囲まれ
意味不明な言葉に溺れ
自由は眠り続けるだけ
No.129 分別できない朝に
何色に染めても
黒く仕上がるなら
羽ばたく白い鳩も
いつかは染められてしまう
すがることさえ出来ずに
一人膝を抱えるなら
冷たく白い瞳も
いつかは気にならなくなるだろう
忘れてしまいたい全てを
忘れてしまった時に
大切なものと区別が出来ずに
思い出そうと必死になって
“黄金に輝く夕焼けと草原
いちばん星は雲のピアスに見える
夜が深まれば満天の星空
黒く染められた中で輝く星たち”
そんな夢を見ていた
曇り空が出迎える朝に
煙草の煙で膜をはり
自分を棄てる準備をする
ビニールの中で息が詰まり
吐き出そうとも吐き出せずにいる
冷えた布団は身体の一部になって
横たわれば何かを忘れている
No.128 腐りゆく
小鳥さえずる向こうの山は
目前の木に雄大さを奪われ
忘れ去られた首吊り死体を
目前の木に影として映す
移動して来た彼は体を揺らし
小鳥のさえずりに答えようとする
僕は部屋からそれを見て
笑って涼しい午後を過ごす
鼻をくすぐる腐敗臭が
木の葉の緑にラッピングされて
陽光の強さにうなだれながら
冷房のスイッチを切ってしまう
すると僕は移動して
彼の体になり替わる
体を腐らせようと必死な太陽が
誰彼かまわず照らし出す
明るみになった僕の死体は
また雄大さを失った山に引き戻され
束の間に感じた生前の心地よさを
永遠に羨ましがる
僕が発見される頃には
僕と認識されないだろう
誰彼かまわず照らす太陽が憎くて
少しだけ優しい月を懐かしがる
No.127 ある日の彼
照らされる薄墨の山を濃墨の木が切り取る
鼠色の空を烏が切り取る
山々に近付いても美しさを感じられず
緑色の退屈を感じる
壁に向き合い独り言の練習
「空が低すぎて重苦しい」
潰されそうに小さな犬は
庭ではしゃぐ猫が羨ましい
飛び立ちそうに大きな猫は
車の下で涼む犬が羨ましい
イタリア料理店の窓から溢れる笑顔
上辺だけで並べ立てた独り言
トマトと鶏肉を炒めたような色の夕陽
照らされる濃墨の木は背景に切り替わる
彼はその木の前に立って
ただ空を眺めているだけ
烏の行方もわからぬまま
犬と猫は彼を眺めているだけ