No.500 詩を書かない男!

 

 

CDの回転する音が少しだけする

音楽はそれよりも大きな音で しかし大きすぎず

ちょうど良い部屋の温度と合うように調節し

キーボードを叩いて 何が詩なのだろうかと考えている

 

彼はベッドに横になりたかったし

煙草を吸いたかったし

炭酸の冷たいジュースを飲みたかったけれど

詩を選ぶだけの度胸は まだ残っていた

 

その度胸が コップの底にある一滴の水で

傾けて 誰かの喉の奥を潤すことになるまでは

彼の度胸が 乾いてしまわないように

彼は 音楽をかけ続けるのだろう

 

CDにかき混ぜられた空気は

そのコップに入る水になるらしい

他のやりたいことは全て後回しに出来るだろう

だからこそ 今は詩を書かなければならないのだろう

 

彼はふとそう思った

自分が今 本当は何をしているのかに気がついた時だ

彼は CDをケースから出してもいなかった

パソコンは 初めから持っていなかった

 

彼は 部屋の白い壁を

ただじっと眺めていただけだった

猛烈に喉が渇いているし 眠くなってきたので

コーラを飲んでから煙草を吸って ベッドに行こうと決めた

 

 

No.499 履歴書を買い忘れた男!

 

 

証明写真機の中で にっこりと作り笑いをする

上はリクルートスーツだが 下は短パンだ

撮影が終わり 気を抜き 作り笑いをやめる

写真が出来上がるまでの間 スーツを脱いだ

 


ネクタイも外して 冷たい麦茶を飲んだ

日本らしい蒸し暑さだと ハンカチが思った

大きなリュックに入れられたスーツは

上着であることを後悔して 相方を想った

 


彼は 出来上がった写真を見た

写真は 彼の顔を見て愕然としていた

こんな人間を写したのか と

後悔しながら リュックに入れられた

 


リュックは パンパンになった腹の中を

洗浄したくてたまらなくなっていた

彼に半分飲まれた麦茶のペットボトルは

暑さで死んでしまいそうだと思った

 


彼は 帰りにスーパーに寄って

パックに入った焼き鳥四本を買った

パックの中で燻っていた焼き鳥たちは

彼になんか食われてたまるかと思った

 

 

No.498 工業地帯の大きな家

 

 

耳慣れたのは 叩く音 削る音

伸ばして 穴を開けて 溶かして くっ付ける

そんな音たち 彼の耳は自動的に小さくなり

なるべくその音たちを拾わないようにした

 


その日は ワインのアルコールが抜けたような

ぶどうジュースを飲みながら

その日に出た 2年生の宿題を解こうとして

机に向かって 指を動かしていた

 


工場から帰ってきた親父が 貯えた髭を

札束ほどに大切に撫で付けて 何か叫んでいる

玄関から 彼がいる部屋に辿り着くまでに

リビングと祖父と姉の部屋と両親の寝室を通る

 


「てめえ 宿題なんかやってんのか」

そう親父が聞いても 彼は無視をした

遠くの方から また鉄を割る音がした

それを削る音まで 微かに聞こえた

 


こういう緊張する場面では

彼の小さな耳は 異常に役割を果たした

逆に 親父の拳がめり込んで

右目の周りに青い痣が出来た後は 何もしない

 


彼は泣きべそをかいてしまい

笑われるのが嫌で 二階へ上がり

三階へ上がり 四階に上がって

屋根裏までの梯子を上がった

 


埃と蜘蛛の巣だらけの屋根裏部屋は 

彼にとって唯一の落ち着ける場所だった

蜘蛛が彼に言った 「ぼうず また来たか」

彼は答えた「うん だって酷いんだ…」

 


それから彼と蜘蛛は 色々なことを語り

語り尽くすこともなく 夜を迎えた

母親が彼を呼んでいるので 仕方なく

一階まで降りると 家族がリビングにいた

 


祖父 祖母 姉 兄 妹 弟 知らない男

一度だけあったことのあるような女

臭そうなおじいさん 臭いおばあさん

そして オイルのにおいを染み込ませた親父

 


彼らの前には それぞれシチューが並んだ

具材は 聞かない方が良いと思うほど どす黒い

彼はそのシチューが凄く苦手だったが

もう親父に殴られたくないので 食べ切った

 


食後に屋根裏部屋まで行くと

彼は一階にある荷物を此処へ移そうと思い

住人全てが寝静まったあたりで

そっと 部屋の引越しを済ませた

 


次の朝 親父が彼の部屋を開けると

彼も彼の荷物も 全てがなくなっていた

親父は彼が出て行ったと思って喜び

そこに自分の好きな本を隠した

 


彼は 梯子を屋根裏部屋に仕舞い

板を閉め 四階との関わりを絶ってしまったので

彼が 屋根裏にいることなど知らずに

住人たちは 彼がいなくなったことを喜んでいた

 


一週間が経ち 蜘蛛は彼に言った

 「食べないで良いのか?お前 随分と弱っているぞ」

彼は答えた 「なあに? もう声が聞こえない」

蜘蛛は必死に叫んだ「しっかりしろよ!」

 


そうして数ヶ月 数年と経ち

蜘蛛は家族が出来て 良い巣にも住んでいた

あと 何年か経つと この家の住人は全員引っ越して

蜘蛛も 良い巣も 重機で崩されて 瓦礫に埋もれる

 

No.497 ぼんやり

 

 

似合わない高い服を買って

クローゼットに仕舞ったままだった

彼は臆病風に吹かれながら

安っぽいスーツを着て 日差しを浴びに行った

 


街ではまともそうな顔で 同じような

スーツを着ている奴らが急いでいた

交われない絵具になってしまったように

彼は表面をするりと転げ落ちた

 


太陽は今日も 気紛れに顔を隠して

突然降り出した雨が 彼の髪の間に入った

暗くて厚い雲が ぼんやりと見えた

(目の中にも雨が入ってしまったのだろう)

 


煙草を取り出して 雨粒を吸い込んだ葉に

煙をまかせれば 更にぼんやりとした

彼はいつまでも雨に打たれながら

煙草を吸って 洗濯されたような気でいた

 


綺麗になった彼は家に戻ると

赤ん坊のように眠って 夜に起きた

冴えた目を落ち着かせるよりも

痛みで誤魔化す方が効き目があった

 


次の日の昼に 昨日よりもぼんやりとしながら

煙草を咥え 仕舞っていた高い服を着た

街に出れば 日差しが強すぎて目が眩み

煙草の味も分からなくなった

 


彼はその日を境に 誰にも会うことはなかった

最期に着たのが 高い服で良かった

所々が錆びた 道路標識の隅で

彼の断片が 空模様を伺っていた

 


彼を知る者は 口々に言った

「冴えない奴」だなんて よく言ったものだ

痛みで誤魔化しすぎた小さな人生が終わって

ただ一人だけ 彼を哀れむ奴がいた

 


そいつは 彼の帰りを待ちながら

彼の行き先を知りたがった

彼を忘れようとする人々から離れて

彼の断片が遺る 道路標識に通った

 


彼が着ていた 高い服を

同じ店で 同じ値段で買った

そいつがその服を着て 街に出る頃には

彼の断片さえも 錆びているだろう

 

No.496 彼と空き缶!

 

 

空き缶を蹴っ飛ばして 行き着く先で立ったら

今日は良い日になると信じていた彼は

転がり 草むらへと向かっていった空き缶を

恨むことでしか 自分を保てずにいた

 


寝そべったままの 自分の中にあったはずの

あらゆるスパイスのような感情を捨てて

ただただ のっぺりと広がっていく日々を

空き缶のせいにして 送り続けるのだ

 


もう何年 空き缶を蹴っ飛ばしてきただろう

彼は思い返して 一度も立たない空き缶を

想像で これでもかと言うほど潰しまくり

ぺしゃんこの手裏剣にして投げて遊んだ

 


靴の先に付いた空き缶のカスが

彼に辿り着く頃には 諦めてしまっているだろう

空き缶など見つけることすらないかも知れない

その前に 彼の足がどんどん銀色になるだろう

 


もしそうなったら 誰か

彼を思い切り蹴っ飛ばしてやってくれないか?

草むらへと向かって行った彼に

舌打ちをして 過ぎ去ってしまえば良い

 

 

No.495 軽やかな彼

 

 

バスケットボールをドリブルするように

交互に手を前に出し 上下に動かしながら

弾むような足取りで コンクリートの上を歩く

彼は 昨日大切なものを亡くしたばかりだ

 


ヘッドホンで塞いだ耳が 暑さで溶けてしまえば

二度と音楽が途切れることはないのだろうか

そんなことを考えながら ジタバタと歩いてゆき

彼は目的のない旅を楽しむことにしていた

 


音楽は 高い声の男が 何か大切なことを歌った

意味がわからなくても 彼にとって意味があった

何が起こったかなんて 彼には関係がなかったが

今ある 暑さや空腹よりも身近なものに感じた

 


デパートに入って 大きなショッピングカートを

リズミカルに押して 目に入ったものを全て入れ

金など持っていなかったので Uターンをして

全ての品物を棚へと戻して デパートを出た

 


昨日亡くした 大切なもののことを考えないよう

細心の注意を払いながら 明るい場所へ向かった

決して辿り着くことはないと分かっていても

バスケットボールをドリブルするように

 

 

No.494 名前を忘れた男!

 

 

髪の長い男が 夜を彷徨っていた

彼は 名前を忘れてしまっていた

名前は 彼を覚えていたけれど

彼に 思い出して貰いたくてたまらなかったけれど

 


街灯と家々の灯りが ぽつんと落とした

その光の色が 水に溶かされて

滲んで 薄く引き伸ばされて 淡くなり

照らされているはずの道は 見えなかった

 


彼が髪をかき上げ 後ろに結んだ時

ふと 胸ポケットにある硬い感触に気が付いた

それを取り出すと 小さな切手入れのような

木で出来た箱が 一つ入っていた

 


その箱に焦点を合わせると

小さな鍵穴を見つけた

慌てて ズボンのポケットを探ると

あった…おそらくこの箱の鍵が 右に入っていた

 


彼は箱に鍵を入れ ゆっくりと回してみた

鍵が開き 蓋が少し浮いた

蓋を半分 開くか開かないかのところで

彼の名前が ひらひらと風に舞った

 


彼は それが「名前」だとすぐに気が付いた

しかし 名前は「彼」をついさっき忘れていた

形を変えながら(蝶に 鳥に)名前は飛んだ

彼は 途方に暮れながら 夜空を眺めていた